閉店した名店 ラーメン二郎松戸店初代店主を振り返る

赤羽二郎小豚W850円 閉店した名店
松戸ラーメン探検隊

閉店した名店を思い出す

松戸にはこれまでもおいしいラーメン店が多数ありました。閉店したお店でもとても思い出に残っているお店があります。

再オープンがあったらぜひ行きたいお店です。今回、私が思い出に残っている閉店した松戸のラーメン店を振り返ります。

ラーメン二郎松戸店初代店主

ラーメン二郎松戸店は現在、3代目店主の元で運営されています。今回取り上げたいのは初代店主についてです。

ラーメンのおいしさを叩きこんでくれたと言えるくらい好きなお店でした。職人として提供するラーメンへの集中度、緊張感が高いお店でしたがそれもまた個性でした。ネット上では見た目の似ている事からプロレスラーをイメージして蝶野さんとよく呼ばれていました。

ラーメンへのこだわりも細部にわたりました。まず、麺は製麺機で自店舗で打つことから風味がとても高く、小麦の香りが漂うような奥深さがありました。また、スープは個人的にスープの魔術師と呼んでいたくらい高いまとまりでした。

提供直前の動作にもスープへの高いこだわりが見えました。1杯づつ、器に入れた後に表面の油分を調整していました。

肉も腕肉の食べ応えのある塊を出してくれました。スライスせずに、あえて塊状にすることにより肉を食べているという感覚が強かったです。

初代店主は二郎が好きで転職した経緯

ラーメン二郎の聖地とされる三田本店ですが松戸店初代店主は前職ではこちらのお肉販売業者の担当として本店に伺っていたと言われています。

本店の味に感動して、ラーメンつくりの道に入ったとされています。それだけ思いが強かったという事は初代のつくったラーメンを食べていると感じられました。

ラーメン二郎松戸店のオープン後、なかなか目標とする味に達せず苦労したと聞きます。スープのできが今一つであった為、お店を開けられなかったこともあったと聞きます。

しかし、このような努力は大きな力となってきます。行列が絶えない、松戸ラーメンの大人気店として一角を占めるようになりました。

また、ラーメン二郎京成大久保店の店主とは仲がよかったといいます。京成大久保店が長期休業後の再開では手伝いはもちろん松戸店を臨時休業して向かっていました。ラーメン二郎はオープン時に他店の店主が自店舗を臨時休業してでも応援に駆け付けます。

そして、新メニューとして味噌味を2店で開発して同時発売していました。この味噌味を冬に食べた時はたまらないおいしさでした。特にスープの奥深い味はたまりませんでした。今でも思い出すと食べたくなりますね。

松戸店閉店、そして赤羽へ

松戸店を閉店して赤羽に移転する時は衝撃でした。あの時2代目店主が引きついでくれなければ松戸から二郎の灯が消える所でした。

2代目も初め後継指名された方は諸事情により引き継げず、休店状態が長引いていました。池袋で修行されていた2代目店主(現・新潟店店主)にもあの時、松戸店を開いてくれた事に感謝がつきませんね。

松戸店初代店主はラーメン二郎赤羽店として再出発されます。赤羽店にも何度も伺いいましたが、松戸時代と変わらない味でうれしかったです。

しかし、松戸店の後半でもそうでしたが腰の容態があまりよくなかった様子でした。熱い中での立ち仕事が続くハードな職場です。臨時休業が多くなり、赤羽店は閉店となりました。

その後は現在、わかりません。容態がよくなって、また再起された場合はぜひ伺いたく思っています。あの味、こだわりを忘れられません。ラーメン好きになった原点としていつまでもおいしい思い出をありがとうという気持ちでいっぱいですね。

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